日本での李香蘭ブーム

日本でも李香蘭ブームが巻き起こります。1941年2月11日、
来日しての日劇公演「歌う李香蘭」であの有名な「日劇七まわ
り半事件」が起こります。

日劇での公演に押し寄せたファン約10万人が日劇を七回り以
上も取り囲み、ついには入場できなかったファンが暴動を起こ
したとされるものです。

日本人はみな李香蘭を中国人として見て親しみを持ち、中国
に対する親しみや中国への進出に高揚していったのはないで
しょうか。

このように大人気であった李香蘭ですが、この人気は満州と
日本国内でという条件がつきます。

彼女が中国全土で人気を得るのは中国映画初出演の『萬世
流芳』で評価を得てからということになります。

この映画で李香蘭は主役ではありません。監督、主役などの
スキャトは当時の上海映画界のトップ、大物スターで固められ
ていました。

李香蘭の役は阿片窟で飴を売りながら阿片撲滅の歌を歌う娘
の役で、メインストーリーではありません。

この映画は1942年がは阿片戦争で中国がイギリスに敗れ南
京条約締結強いられてから100周年にあたるのを機に製作さ
れたものです。

内容は阿片撲滅のためにイギリスと闘った林則徐を描いた時
代劇です。

中国にとっても日本にとっても敵がイギリスということでお互い
の国策に合致した映画だといえます。

こうして中国の大物スターたちと競演し、中国大陸全土をマー
ケットに持つ中央映画界にデビューを飾りました。

この映画は大ヒットしました。李香蘭の名前も中国全土へと知
られていきました。

しかし李香蘭が上海映画に出演したのはこの一本のみとなり
ます。

その後、李香蘭は日本人でありながら中国人として生きている
自分との葛藤が大きくなり、満映を円満退社。

そして終戦を迎えます。