満州で生まれて

1920年2月12日彼女は満州の撫順で生まれました。満鉄に
勤務し夜間講座として中国語を教えていた父、山口文雄と母アイ
の間に生まれました。

山口淑子の誕生でした。当時の満鉄では中国人との意思疎通
のため中国語が必須であり、正社員としての採用の条件でもあ
りました。

また、検定資格によって昇給に影響したため、受講者は一生懸
命に勉強しました。

彼女はそんな中、その父の中国語の講座を聞いて育ちました。
このとき学んだのが首都北京で使われ標準語とされる北京官
話でした。

この北京官話の習得も後に大きな利点となりました。1931年
満州事変が起こり翌年には満州国が成立しました。

この頃になると中国での反日運動が激化し、一家は奉天に移り
住むことになりました。

そのとき一家が世話になったのが、当時瀋陽銀行で頭取であっ
た李際春将軍でした。

当時の中国では親しい間柄を示す証としてお互いの子供を養子
とする習慣がありました。

実際に戸籍を移すのではなく、お互いの姓を付け合うものです。
そのため中国名として李香蘭と名乗ることになったのです。

奉天で女学校に通っていたとき、呼吸器系の病のため、半年間
自宅療養した時期がありました。

そのため呼吸器を鍛える必要から、幼なじみであったロシア人
少女リューバの勧めもありイタリア人オペラ歌手マダム・ポドレ
ソフの元で歌を習うことになりました。

このことが彼女のこれからの人生に多大なる影響を与えること
になりました。

才能のあった彼女はマダムの元でメキメキと実力をつけます。そ
してマダムのコンサートの前座を勤めることになりました。

このことが奉天放送局の担当者の目にとまり、「新満州歌曲」と
いう番組の専属歌手としてデビューすることになりました。

奉天放送局は満州国誕生とともに開局し、森繁久弥アナウンサー
らを要していましたが、日本人が運営する放送局で中国人の聴
取者をふやす必要がありました。

そのことが日本語と中国語のBILINGUALであった彼女はこの
局の企画にマッチした存在だったのです。